


十二月十四日に成田空港に着陸したとき、安堵と急激な疲労に襲われました。こんな経験は生まれてこのかた味わったことのないもので、十日ぶりにありついたうどんを食べて、ようやく正気を取り戻した事でした。
この十日間は、時差ぼけも手伝い、もうろうとして時が過ぎたような印象です。しかし、ブラジルで私が見聞きしたことを一つ一つを思い起こしますと、それぞれが大変に強烈な印象をもって蘇ってきます。かけがえのない体験をさせて頂いたことを心のそこからありがたく感じている次第です。
●ノーベル賞クラスの学者に囲まれ圧倒され、動揺し・・・
三十七時間の長旅の疲れを取る間もなく、私は四、5時間睡眠の後、シンポジウムの会場へ足を踏み入れました。そこには、200人以上の人がいました。たくさんの人の前で話し慣れているとはいえ、このように、白人や黒人、日系人、東洋人がごった返した中に放り込まれたのは後にも先にもこれが初めてのことで、とにかく圧倒されました。
日本から引き続きの風邪で咳が止まらず、昼か夜かもわからない頭でスピーチなど、正直逃げ出したいような気分でした。最前列にはノーベル賞クラスの医師が陣取っていました。WHOの仕事をされている,世界でも指折りの医師,ベローネ氏もいました。彼らから見れば、私は何とも知れない日本人にすぎず、こんな一介の薬剤師の話をまともに聞いてもらえるのか、そんな思いがいよいよ動揺を誘いました。
●大勢の人に取り囲まれ、熱意に感動
しかし、通訳のアンナさんと壇上に上がり、スピーチを始めるや、そんなもろもろの心配は吹き飛びました。話の途中気がつくと、会場はシーンとして私の話を聞き入っていました。終わった途端、会場から盛大な拍手が沸き起こりました。最前列で聞いていた、現地のイタリア人医師らが立ち上がって握手を求めてきました。
「先生の話、すばらしかったといっている」アンナさんが通訳してくれました。とても信じられませんでした。嬉しいよりもほっとして、足ががくがくし始めるのを抑えるのがやっとでした。
早く会場を出ようとする私を、あっという間に十人以上の人が取り囲みました。それから矢継ぎ早に質問を浴びせられ、そのまま四十分以上質問攻めに合いました。特に若い栽培業者の、真剣な眼差しが印象的でした。ブラジルでは露地栽培が主流ですが、若い世代はハウス栽培の合理性に気づいており、彼らの先を行く日本の技術を習得しようと大変意欲的でした。
夜の9時にシンポジウムが終わると、それから私の歓迎会が開かれました。例のフェリッペ医師らも顔を合わせる度に握手を求めて来られ、「かんぱい!」と日本語で酒を酌み交わしました。スピーチをする前の不安や心配はすっかり消え、皆さんとうちとけて楽しいひと時を過ごしました。
ラテン民族の特徴なのか、悠長で明るいこと、食欲の旺盛なのことにはしばしば圧倒されましたが、ここでもまた興味深い薬効事例を聞くことができました。
●ブラジルの医療状況
ブラジルでは医療に限って考えますと、日本とは比べ物にならないほどオープンです。アガリクスも、日本のような形で普及しているわけではありませんが、いろいろな病気に対して積極的に使われていました。そのひとつがエイズ治療です。
シンポジウムの中でも発表がありましたが、イタリア人医師が、これまでに四十人のエイズ患者を治療し、寛解に至っていました。つまり、エイズウィルスが消滅したということです。小学一年生の男の子は、母子感染でエイズにかかり、発症しました。アガリクス含有シロップを一年数ヶ月飲みつづけてエイズを克服し、やせてしわだらけだった体は、今は見違えるほど丸々と健康に太り、他の子供と一緒に普通の生活をしているということでした。それが、実際にテレビで流され、宣伝に使われていることには驚きを隠せませんでしたが。
シロップといいましたが、ブラジル人は、あの煎じたアガリクスの臭いが苦手で、専ら出回っているのは、アガリクス含有のシロップか、錠剤のものでした。錠剤は、親指のつめほどもある大きな粒で、それを噛んで食べる方法がとられています。日本のように、100パーセント濃縮エキスの顆粒というものはどうも作られていないようです。
話がそれましたが、今ひとつの事例は、例のベローネ医師の体験でした。彼は八十三歳でなお現役の、免疫学の世界的権威で、日本からも学者がわざわざ訪ねてくるという方でした。ベローネ氏は重病を患ったときに、医師であるにもかかわらず、化学治療を嫌がり、アガリクスだけを飲んで、結局病を克服したという経験をなさっていました。その体験から、大変アガリクスに興味を持ち、ご専門の免疫研究の分野からアガリクスに取り組み、その普及にもつとめていらっしゃる、立派な方でした。
先ほども申しましたが、私の印象では、ブラジルでは、なんにでもアガリクスを使っていると感じました。例えば、産婦人科の先生は、塗布剤のようにして、アガリクスの粉末を利用されていました。日本では思いもよらない利用法には大変興味がひかれました。
ある会社の見学をさせていただきましたが、そこでは、会社の社長みずから1日に4つの局のテレビに出演し、自社の製品の宣伝をすると、会社の何十という電話が一斉に鳴り響き、ずらりと並んだ多国籍軍のようなオペレーターたちが次々電話で注文をとり、翌日にはバイク便で発送するという仕組みでした。実際私はそのときちょうどその場に居合わせました。それまで静かだった事務所が一転して戦争のような忙しさに包まれるのは、まさしく壮絶で、ブラジル人のバイタリティには圧倒されました。
●ブラジルでのアガリクス栽培
ブラジルの日系人と一緒にいますと、祖国日本を思い慕う気持ちが痛いほど伝わってきます。私も満州で生まれ、少年時代を過ごしたからだろう、こんな風に感じるのは、と思いました。
アガリクスの栽培農場では、日系人はまじめでうそをつかないといって信頼があつく、主任として働いていらっしゃいました。私が見学させてもらったのは、コンポスト、つまり堆肥を作る現場と、小高い丘陵地に広がる栽培場でした。堆肥工場と、栽培地はサンパウロをはさんで40キロ以上も離れており、できた堆肥を運ぶだけでもコストがかかり、不便で無駄が多いように感じました。
栽培農家の方の話では、やはり、寒暖の差がはげしい、霧の多い丘陵地でできるアガリクスは、ぐっと太くきれいなのだそうです。一方堆肥工場のまわりでは、菌を植えもしないのに、細いひょろひょろした茸が勝手に生えてきて、それがまた、できすぎるくらいできるのだそうです。これもまあ確かにアガリクスなのでしょうが、なんだか気味が悪いというので、敢えてここでは栽培しないということでした。
丘陵地では、日系人の渡辺さんという方に案内をしてもらいました。あいにく収穫の時期より少し早めで、一面真っ白なアガリクス畑という情景を目にすることはできませんでしたが、日光をよけるために、畑一面に敷かれたわらのような干草のかげから、太く肉付きのよい大きなアガリクスがちらほら姿を現していました。渡辺さんが繰り返し私に話してくださったのは、
「アガリクスを育てるときは、感謝しながら、優しく話しかけることが大切です。これでお金を儲けよう、とか、大金が稼げるとか、そんなことを考えたりしたらちっとも茸はできません。優しく話しかけて育てることが一番大切です。」
ここブラジルの施設は、建物も粗末で、壁には大きな穴がいくつもあいてすきま風がヒューヒュー通る状況の中で、アガリクスの菌が元気に成長していました。愛情たっぷりのアガリクスは種菌まで元気なのかと感心させられました。それと同時に日本での栽培方法のヒントになることがこれまた山のようにあり、とても貴重な体験をさせていただきました。
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