●乳ガンとは無縁だろう・・・としばらく放置。予想もしなかった、「乳ガン」の診断。 自分はこれからどうなるんだろう・・・

病 名 : 乳ガンからの転移性肺ガン
 
        埼玉県さいたま市 YKさん(37才)


転移ガンの治療に1年10ヶ月。胸のCT画像からは、ガンの影がすべて消えていました。

●3人の子どもを母乳で育てたのだから、乳ガンとは無縁だろう。

6年前に癌が見つかったとは思えないほど毎日元気に過ごしています。片道1時間半の車通勤をして会社勤めもしています。妻であり、母であり、会社員であり、アガリクスを飲みながら毎日充実した日々を過ごしています。

平成10年1月、正月休みのある日下着の汚れに気がつきました。ブラジャーに少量の血が混じった黄色い液体が付いたのですが、当時の私は無知だったのと、3人の子どもを母乳で育てたのだから乳がんとは無縁だろうという間違った認識からしばらく放置していました。


●容赦ないガンの宣告。崖から突き落とされたような感覚。

3月になって、下着の汚れも毎日のようになり、就寝時にふと触れた右乳房の左上に固い物を見つけました。早速翌日近所の外科に行くとすぐに大きい病院へ行きなさいと言うことで、近くの大学病院へ行きました。

数種類の検査の結果、「乳ガン」の診断。崖から突き落とされたような感覚、自分はこれからどうなるんだろう、子ども達はどうなるんだろうと思う一方、頭の中は何も考えられない状態でした。

4月、右乳房全摘出の手術を受けました。手術の後、シャワーから入浴も出来るようになって、いよいよ抗ガン剤の治療が始まりました。

私はというと、取ってしまえば癌は完全に治ると思っていましたから、術後1ヶ月で退院、1ヶ月の療養の後、抗ガン剤の治療を受けながら職場復帰をしました。

これは同僚や上司の理解がなければできなかったことです。私にとって術後何が怖かったかと言えば、転移、再発より右腕が上がらなくなることでした。ですから術後に医師から動かしていいよという許可が出てからは、精力的にリハビリをしていました。

仕事は右腕を高く上げることもあったので、待っていてくれる職場の仲間のためにも、何よりこれから子ども達の世話をしなければならないという大きな仕事もありましたから必死でした。

現在多少のしびれは残っているものの生活にはなんの支障もなくいられることは、このときの努力の成果だと自負しています。
 ホルモンレセプターは陽性の癌でしたので、抗ガン剤の治療が終わった後も女性ホルモンを止める飲み薬だけは続けていましたが、なぜか生理があって、変だなと思いながらも定期的に検査には通っていました。

 

●3年後、父が倒れる。看病、送迎、仕事・・・みるみる腫瘍マーカーが上昇。「やばい!」

平成13年5月、同居していた私の父が肺ガンに倒れました。3ヶ月の闘病の後、8月に62才でなくなりました。ずっと具合は悪かったはずなのに、元々病院嫌いの人でしたから、とことん悪くなるまで言わなかった結果の短い闘病生活でした。

闘病中、少しでも命を永らえてもらいたい一心で、インターネットで様々な道を探していたときに出会ったのが、アガリクスでした。たまたま検索したホームページに温かみを感じて、二箱だけ購入し父に飲ませました。

飲みながら抗ガン剤を受けた父は、母に聞くところによると副作用も軽かったようです。

父の入院、看病する母の送迎、子ども達の世話、仕事。父の死後は様々な手続きなど夫の協力があってもやはりその重圧は重く、定期的に行っていた血液検査で腫瘍マーカーが上昇を始めました。

おかしいですねと言ってた医師もみるみる上昇する数字に焦り始め、全身の検査をしました。ところがまったく病巣が見つかりません。

それなのに数字だけはどんどん上がる。さすがに能天気な私も「やばい!」と感じ、知り合いに相談した結果、東京にある癌の専門病院へ転院することを決意したのです。

 

●肺に転移した大小9個のガンを発見。強い抗ガン剤への不安。

そこでは癌患者に対する理解の仕方、スタッフが患者へかける言葉の違い、ひとつひとつが新鮮でした。誰もが病気に対して前向きな姿勢を持ち、治療の主役は患者なんだという意識を持たせ、先端の医療で立ち向かう。

そこでもう一度すべての検査を受け直し、やっと肺に転移していることがわかったのです。肺は左右に分かれ、それぞれの中はさらに3つに分かれています。

その分かれた部屋の間の液体のようになっている部分に、大きいもので1p、数ミリ単位のものまで合計9個散らばって見つかりました。

手術もできない、放射線も当てられない場所なので抗ガン剤の治療しか道はありませんでした。今度はかなり副作用も強いらしい。気休めでもいいから何かにすがりたいと考えていたところへ、心配した親戚中から様々な健康食品が届きました。

干したアガリクスがキノコの形のまま山のように届いて、それを煎じて飲みました。独特なキノコの香りとだし汁のような味に顔がゆがみ、飲み続けていることは苦痛でしかありませんでしたが、せっかくだからと飲み続けました。

合間には様々な健康食品を試しましたが、高価な上に偽者だったりと痛い勉強もしました。しかし効果と呼べるものは何も感じられませんでした。


●肺に転移した大小9個のガンを発見。強い抗ガン剤への不安。

手持ちの健康食品が終わって、自分が信じられるものを続けようと考えたとき、ふと思い出したのがまるくらさんのアガリクスでした。

今度は自分のためにサンプルをいただき、お湯に溶かしてお茶のように飲んでみました。予想以上の飲み易さに、これなら続けられると自信を持って決めました。

抗ガン剤治療を受けながら仕事も続けていたので、アガリクスは本当に強い見方でした。辛くて、「死んでもいいからこんな治療やめたい」と思ったことが何度もありました。

もどす食べ物も無く、胃液だけをもどしている状態でもアガリクスだけは朝晩2回飲みました。そのせいか、点滴をして4日間寝込むと嘘のように身体が軽くなり、5日目には食事を取って仕事に行かれるのです。


その姿には私自身より家族の方が驚いていました。


●CT画像からガンの影がすべて消えた!インフルエンザだって平気


腫瘍マーカーが上昇を始めて約1年、やっと見つかった転移癌の治療に途中薬を変えながら1年10ヶ月。平成15年12月26日、その年最後に行った胸のCT画像からは癌の影がすべて消えていました。

化学療法科の主治医も「よくがんばりましたね。治療はしばらくお休みしていいですよ」と言ってくださいましたが、私は今回ばかりは楽天家の部分を捨て、次のステップをお願いしました。

今年になってからは「ゼローダ」という飲み薬を続けています。アガリクスは昨年から朝一番に1包だけ飲むようになりました。空腹の胃に染み渡るような感覚が効き目を表しているようで日々健康になっていくような気がしています。

化学的な薬ではないので劇的に何かが変わるということは今までにも一度もありません。しかし、私自身の身体は確実に丈夫になりました。なんとなく調子がいいというのでしょうか、朝起きたときにわかるんです。

風邪を引くことも極端に少なくなりました。子ども達がインフルエンザにかかり、白血球が減っている私も覚悟していましたが、まったく元気なんですね。それに風邪かな?と思うような症状があっても、ひどくならずに治ってしまう。


●今まさに苦痛と闘っている人も自分を信じて欲しい。

父に飲ませていた時に愚痴めいた相談のような、何ともいえないメールを健康相談に送らせていただいたことがありました。

そんなメールにも大変几帳面に真剣に答えてくださったことが、私の中でネットでしか知り得なかったアガリクスへの信頼となっているのだと思っています。

そして何より、折に触れて体調を気にかけてくださるスタッフの皆様の温かいはげましのメールに、これからもアガリクスを信じていこうという力をいただいています。

「病は気から」これは本当です。人は1人で生きているのではなく、たくさんの支えがあって生かされています。その支えてくれている人々や家族のために、自分を信じて前向きになれるかどうかで結果は決まります。

今まさに苦痛と闘っている人も自分を信じて欲しいと心から願っています。「頑張って」と言われることは本当に苦しい。

でも敢えて私は自分に言い聞かせてきました。「頑張る!」と。それがあったから今、一番身近で支えてくれた家族に胸を張っていられるんだと思っています。

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